環境省主催セミナー
「現代を生きる私たちは過去からの教訓をどう活かすか~水俣病の経験から考える~」
水俣病が発生した地域の、地元の大学生をはじめとする若い世代が、大学の授業やフィールドワークを通して水俣病と向き合い続けています。
今回は、新潟大学の坂口さんに、新潟水俣病の学習や研究を通して見えてきたこと、そして「水俣病を知る」とはどういうことなのかについて、ご自身の経験をもとに寄稿いただきました。
私が水俣病を初めて学んだのは、中学校の社会科の授業だった。それまでの私は、教科書に書かれている出来事を、現実味のない物語のようなものとして考えており、自分とは関係のないものだと考えていた。 しかし、授業の中で新潟水俣病の発生地が阿賀野川流域であるということを知ったとき、その印象は大きく変わる。 この川は私の地元でも流れていて、日常の風景の一部だ。 自分と水俣病が線でつながり、今なお続く問題であると知ったことで、切り離すことのできない問題だと自覚することになった。
大学3年次には、水俣病のフィールドワークを伴う授業に参加し、阿賀野川流域や熊本県水俣市を訪れる機会を得た。
この授業は、履修者同士の討論や実地調査、文献調査を通して、水俣病問題への理解を深めるというものである。
その中で、実際に現地で当事者や継承活動を行う方々の語りや、当事者の日常生活や苦しみの中でも諦めない強さを描いた作品に触れたことは大きな転機になった。
様々な方法をもって水俣病を伝える活動を知る中で、水俣病を学ぶことの意味を考えるようになる。
私は小さなことでも自分とつながる点を見出したことで、その後も学び続けることができている。
しかし多くの場合、水俣病を学ぶ機会は学校のカリキュラムの一環として設けられた限られたものである。
それが終われば、問題との接点も自然と途切れてしまうことが少なくない。語り継ぐべき記憶や考えるべきそれぞれの問いがあるのにもかかわらず、知識として学んで終わるのであれば、非常にもったいないことだと感じていた。
そのため、学ぶ側がどうしたら自分の問題として受け止められるのかを明らかにすることが重要なのではないかと考えるようになった。
こうした軸をもとに卒業論文では、水俣病問題を経験していない人がどのように関わり得るのかを考えた。 インタビューを通して見えてきたのは、自分ごととして考えるとは、自分の抱える悩みや、関心のある学問と照らし合わせながら、問題を受容していくということだ。 当事者に対しても、日常生活を送る1人1人の人間として出会う経験が、心理的な距離を縮める契機になっていた。 そして授業終了後も、水俣病問題を自分の人生と結びつけて考え続けたいと話してくれ、時間が経過した現在も学んだ経験が生活に活きているという。
水俣病問題は多くの課題が複雑に絡み合っていて、若い世代にとっては関わりにくさを感じることもある。
しかし、複雑であるからこそ、学ぶ視点は多くあり、自分なりに関わる入口を見つけることもできるのではないだろうか。
正しい事実を学ぶことは大前提である。
その上で、受け身にならず自分なりの問いを持って考え続けること、そして自分の生活や抱えている問題とつなげていくことが、水俣病を自分ごととする1つの形になると考えている。
水俣病問題を学ぶことは、過去を知ることにとどまらず、今をどう生きるか自分に問い直すことでもある。私も新潟の若い世代の1人として模索を続けながら、これからも水俣病問題と向き合い続けたい。
今回のセミナーでは、水俣と新潟という二つの地で起きた水俣病と、その歩みを取り上げます。それぞれの地域で水俣病をどのように受け止め、どのように向き合い続けているのか。そして、その経験から私たちは何を学ぶことができるのか。ぜひ本セミナーを通して、皆さまと共に考える時間となれば幸いです。
| 時間 | 内容 | 講演者 |
|---|---|---|
| 13:30~ | 環境省挨拶、日本国内での取組について | 環境省 |
| 13:40~ | 水俣病概要 | 奥羽 香織 氏 (一般社団法人水俣・写真家の眼) 藤田 伸一 氏 (新潟県立環境と人間のふれあい館 館長) |
| 14:10~ | 語り部講話 | 吉永 理巳子 氏 (水俣市立水俣病資料館 語り部) |
| 15:10~ | 休憩 | |
| 15:30~ | パネルディスカッション 「現代を生きる私たちは過去からの教訓をどう活かすか」 |
<コーディネーター> 遠藤 邦夫 氏(一般財団法人水俣病センター相思社 理事) <パネリスト> 旗野 秀人 氏(冥土のみやげ企画) 吉永 理巳子 氏(水俣市立水俣病資料館 語り部) 山崎 陽 氏(一般社団法人あがのがわ環境学舎) 熊本県立水俣高等学校1年生 |